★生
幼少期・モノゴコロつくのがかなり遅かったと思われます。
あまり自己主張することのない・・・というか、意思表示の出来ない子供でした。
恥ずかしがり屋でぼんやりしててまめっこ。
自分の意思を主張したり表現するのがすごく恥ずかしく、
自意識過剰な行為に思え、
また そんな価値もないと思っていました。

アニメ・漫画が好きだったのですが、中学入学を期に親に諭され興味を打ち切り。
それでも・・・・こっそりと見ていたり。
高校生になり、部活に入り、バイトを始める。
外交的になってきたのはこの頃から・・・・仲間のおかげです。
そしてファミレスのバイトで社会勉強・労働ということを学び、
親からの自立・責任が少し身についた気がします。
(お小遣い程度の収入ですが、親の脛をかじるよりも、自分で働いたお金で、
購入することを選択出来るようになったことはかなり衝撃的でした。

はやく「一人前」になりたかった。出来る限り自分の面倒は自分で見たかった。
金銭的にも、精神的にも。
養ってもらってるうちは、きっと、「社会」という「世界」は見えてこないのではないか?
認めてもらえないのではないか?
だから、「自立」することが、「コドモ」からの卒業だと考えてました。)

意思表示が出来ないということは、「意思がない」と同じにされてしまうと気がづいたのもこの頃。
考えて考えて考えて考えて考えてても、伝えなきゃ意味がない・・・・。
だから、出来るだけ、自分らしいコトバで、自分らしい方法で
伝わるように頑張ろうと思いました。

基本的には内向的でオトナシイのですが、後天的にハジケたお笑い系。

 

★感
「彼は、幸せだった。その人生の中で幸せを見つけ出し感じることのできる人間だったのだ」
たしか、アンデルセンの人生について考察した文章だったかと思うんですが、
幸せって、人それぞれで、
幸せと感じられるかどうか、その人次第だと。

この考えも同感ですが、他人の事をこういう風に表現できるこの作家さんもすごいなあ。と思いました。
上手く言えないのですが・・・。
自分以外の誰かのこと、よりよく理解・表現することができるのって、すごいです。

ラウ・ル・クルーゼ隊長は 「所詮 人は 己の知る事しか知らぬ」 といいました。

人にとって 価値観はそれぞれで、
感じ方・捉えかた・考え方はその人だけのものです。

でも 自分以外の人は チガウもの だからこそ、
理解する努力って必要だとおもいます。

せっかく 同じ時代 同じ場所で生きてるのですもんね!
わかりあって 共有して 仲良く生きてゆきたいです。